大野城跡散策
  1. 大野城跡は糟屋郡宇美町と大野城市と太宰府市にまたぐ四王寺山にあります。大野城は、663年に倭軍(百済との連合軍)が朝鮮半島での白村江(はくそんこう)の戦いで敗れたのち、665年から築かれた朝鮮式山城です。自宅にあった子どもの日本史の資料集からの図を見てみると非常に分かりやすいです(下図)。

これまで何度か大野城跡に行っています。太宰府政庁跡から令和ゆかりの地として有名な坂本八幡宮の前を通って登山してもよかったし、四王寺山の中央にある四王寺県民の森から登ってもよかったです。今回は、土曜日の外来診療を終えたのちに、焼米ヶ原の駐車場に車を置いて四王寺山の尾根にある大野城跡の土塁をぐるっと回る6㎞のコース、ゆっくりと散策をしてみました。散策といっても、300m以上の高低差があり、トレッキングシューズが必須です。紅葉には少し早いですが、気候が良く気持ちのいい散策となりました。途中に、いろんな遺跡や名所があります。その中でも665年に築かれたとされる百間石垣は圧巻です。水城の土塁も山の上から眺めることもできます。

面白いのが、四王寺山というだけあり、ぐるっと大野城跡を1周すると、持国天、増長天、広目天、毘沙門天(多聞天)の四天王にまつわる名前を遺跡などの名称として目にすることができます。奈良時代に仏教で国を守ろうと大野城内に四天王寺を立てたことが四王寺山の名前の由来だそうです。665年の天智天皇が山城を築いた時代だけでなく、奈良時代、島津軍と戦った戦国時代、疫病や天変地異に祈祷するために三十三個の石仏が作られた江戸時代など幾重の時代の証しもこの大野城跡に存在しています。それらの時代の人たちもきっと今日と同じような景色を見ただろうし、これからも同じような景色が続いていくと考えると、これまでの歴史、これからも続いていく歴史の中で、ほんの一瞬の現在を自分が生きているのだと感じました。

2020年10月31日