目の前の下宇美駅跡

診察室のドアを開けると、目の前の県道68号線の向こうに旧国鉄勝田線の下宇美駅跡があり、時計を備えた背の高いモニュメントがいつも目に入ります。このモニュメントは宇美町町政80周年の記念として、つまり20年前にたてられています。

勝田線は、鬼滅の刃の時代である大正時代に造られ、糟屋炭田が栄えていた頃に石炭運搬としても活躍し(鬼滅の刃の吾峠呼世晴さんは太宰府の竈門神社とともにとなり町のこの糟屋炭田も思い描き、主人公の竈門炭次郎をうみ出したかもしれないと勝手に想像しています)、福岡市吉塚と糟屋郡宇美町を繋いでいました。筥崎宮と宇美八幡宮、そして太宰府天満宮の三社参りできるように太宰府まで線路を延ばす計画さえあったらしいです。その後、炭田閉鎖に伴って利用者が激減し、1985年に廃線となっています。

線路は現在、15km以上のジョギングできる緑道となり、私も時々緑道を散歩したりジョギングしています。下宇美駅跡には、緑道を散歩していても気づかれないようなプラットホームが残されています。ここに下宇美駅が今もあればすごく便利だっただろうなぁと思います。

プラットホームの向こうにまえだ脳神経外科があります。

2020年12月20日